たまには真面目な話を
中間日記――すば日々のグッズ買おうか本気で迷ってます
ここ二、三ヶ月の日記を読み返してみると、あまりの変態ネタの多さに驚愕してしまった。
このままでは自分がただの変態に思われてしまいそうなので、手遅れかもしれないけど軌道修正したいと思います。
どーも、友井架月です。
昔のエライ人はいいました。
人間は考える葦であると。
じゃあ僕は考える変態です。
変態だって考えるんです。
そんな感じで真面目な話。
小説やらシナリオやらを書き始めて何か得るものがあったのかと問われれば、物事の考え方や捉え方が格段に広がったと答えるでしょう。
単純な話、小説を書けば文章力やら語彙力はまぁまぁ鍛えられると思いますが、それ以上に、物語を通しての人の考え方が養われると思います。
僕自身は主に人が登場するフィクション系の小説を書きますが、当然としてその物語には登場人物がいます。
彼らはそれぞれ主義主張の異なるそれぞれが個性を持った独立したキャラクターたちですが、それらを別々に動かすということは、それぞれの異なった価値観や考え方を別個に考えるわけです。
キャラによって動かし方は千差万別、同じストーリーラインに立っててもキャラによって違った結果をもたらすのは容易に想像できます。このキャラだったらこうするだろうなとか、こういう時、このキャラはどう考えるんだろうかとか、そのキャラになりきって物語を作っていきます。
あくまでフィクションの中の架空の登場人物に限定していますが、それでも、物事を多角的に捉え様々な方向から思考してみる、ということには役立つかも知れません。
人間は常に自分の立ち位置から物事を考えますが、それだけでは見えないものもあります。正面からだけ見ても物事の本質、その裏側は見えないように、多数の視点から物事を見ないと全容はわかりえません。
物語が複雑であればあるほど、多くの視点から時には主観的に、時には客観的に観察、分析、結論づけなければならない。それは小説であっても現実であっても変わりません。国語の時間に物語の登場人物の気持ちを考えてみるのも、単に想像力や読解力を養うだけではなく、「他者の視点や考え方」というものを幼いうちから鍛えていくためにあると思っています。
少々話が長くなりましたが、詰まるところ、創作とは「作品を創るだけでなく、作品を通して自分自身を創るもの」だと僕は思います。作品を作ればつくるほど自分が出来上がっていくわけです。
そこに完成はありません。終着駅はありませんし、どこまでやれば完成だという明確な基準はありません。一生自分作りですし、人生勉強です。作品を作ればつくるほど自分がまだまだ未熟であることを痛感させられますし、その分次から頑張ることができます。
それはただの自己満足かも知れませんが、とどのつまり、それが人生なんだとまだ二十年しか生きていない僕の結論です。まだ先は長いです。その内この考え方も変わるかも知れませんが、それも一興。
こうやって真面目な話を書けば考える変態と思われるんでしょうか?
どうでもいいですが、自分のなりたい職業ランキングベスト3。
第一位、家庭教師。小学生の自宅に行って子供と母親の親子丼的な。
第二位、保健室の先生。ただの先生じゃなくて保健室の、が魅力的。白衣いいよね。
第三位、小児科。理由は言わなくてもわかると思え。
三つとも先生と呼ばれる職業なのは僕の願望でしょうか。
そんなこんなでせっかく真面目な話で真面目に決めたのに、また変態ネタで台無しにしつつ。
友井架月でした★
ここ二、三ヶ月の日記を読み返してみると、あまりの変態ネタの多さに驚愕してしまった。
このままでは自分がただの変態に思われてしまいそうなので、手遅れかもしれないけど軌道修正したいと思います。
どーも、友井架月です。
昔のエライ人はいいました。
人間は考える葦であると。
じゃあ僕は考える変態です。
変態だって考えるんです。
そんな感じで真面目な話。
小説やらシナリオやらを書き始めて何か得るものがあったのかと問われれば、物事の考え方や捉え方が格段に広がったと答えるでしょう。
単純な話、小説を書けば文章力やら語彙力はまぁまぁ鍛えられると思いますが、それ以上に、物語を通しての人の考え方が養われると思います。
僕自身は主に人が登場するフィクション系の小説を書きますが、当然としてその物語には登場人物がいます。
彼らはそれぞれ主義主張の異なるそれぞれが個性を持った独立したキャラクターたちですが、それらを別々に動かすということは、それぞれの異なった価値観や考え方を別個に考えるわけです。
キャラによって動かし方は千差万別、同じストーリーラインに立っててもキャラによって違った結果をもたらすのは容易に想像できます。このキャラだったらこうするだろうなとか、こういう時、このキャラはどう考えるんだろうかとか、そのキャラになりきって物語を作っていきます。
あくまでフィクションの中の架空の登場人物に限定していますが、それでも、物事を多角的に捉え様々な方向から思考してみる、ということには役立つかも知れません。
人間は常に自分の立ち位置から物事を考えますが、それだけでは見えないものもあります。正面からだけ見ても物事の本質、その裏側は見えないように、多数の視点から物事を見ないと全容はわかりえません。
物語が複雑であればあるほど、多くの視点から時には主観的に、時には客観的に観察、分析、結論づけなければならない。それは小説であっても現実であっても変わりません。国語の時間に物語の登場人物の気持ちを考えてみるのも、単に想像力や読解力を養うだけではなく、「他者の視点や考え方」というものを幼いうちから鍛えていくためにあると思っています。
少々話が長くなりましたが、詰まるところ、創作とは「作品を創るだけでなく、作品を通して自分自身を創るもの」だと僕は思います。作品を作ればつくるほど自分が出来上がっていくわけです。
そこに完成はありません。終着駅はありませんし、どこまでやれば完成だという明確な基準はありません。一生自分作りですし、人生勉強です。作品を作ればつくるほど自分がまだまだ未熟であることを痛感させられますし、その分次から頑張ることができます。
それはただの自己満足かも知れませんが、とどのつまり、それが人生なんだとまだ二十年しか生きていない僕の結論です。まだ先は長いです。その内この考え方も変わるかも知れませんが、それも一興。
こうやって真面目な話を書けば考える変態と思われるんでしょうか?
どうでもいいですが、自分のなりたい職業ランキングベスト3。
第一位、家庭教師。小学生の自宅に行って子供と母親の親子丼的な。
第二位、保健室の先生。ただの先生じゃなくて保健室の、が魅力的。白衣いいよね。
第三位、小児科。理由は言わなくてもわかると思え。
三つとも先生と呼ばれる職業なのは僕の願望でしょうか。
そんなこんなでせっかく真面目な話で真面目に決めたのに、また変態ネタで台無しにしつつ。
友井架月でした★