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月下の王 part5

 第二夜 其の一 波紋


 彩川那生が失踪してから一週間あまりが過ぎた。
 彼女が僕の前からいなくなっても、僕の周りはなんの変化もなかった。
 警察は一連の失踪事件と関連付けるだけで、その後の進展があるわけでもない。
 クラスメイトの間でも最初の頃は衝撃が走ったものの、それぞれが突然知らされた不幸な出来事として適当に処理してしまった。彼らはもうすでに麻痺してしまっているのだ。あちこちで人が当然のように姿を消している。今更、身近で同じようなことが起きても大して驚きはしない。ただ知人か赤の他人かの違いだけだ。彼らが決して冷たいわけではない。ただ、それがもう『当たり前』になっている。それだけのことだった。
 クラスにできた空席も、今では風景と化して馴染んでしまった。
 もちろん、彼女の失踪を心配しているものは僕以外にもいる。
 それでも、時間が経てば彼女の空白は自然と忘れ去られてしまう。
 人の記憶からも、そして世界からも。
 那生の存在が風化していく。
 それは、彩川那生が思い出の中だけの存在になったからだろうか。
 目を瞑れば今もなお、彼女の笑顔を思い浮かべられる。
 それができなくなるということは、本当の意味で彼女を失うということだ。
 僕はまだ、彼女を失ってはいない。
 いや、絶対に取り戻すんだ。
 那生は消えてなくなったわけではない。
 探せば必ず見つかるはずだ。
 根拠なんてない。全ては徒労に終わるかもしれない。
 それでも、何もしないまま終わるなんてできるはずがない。
 今はまだ手がかりらしい手がかりもない状態だけど、この先に何かあるはずだ。
 取り戻したい日常が、那生の存在がきっとある。
 そう信じて、進もうと思った。
 それは、僕が選んだ道だから。

 宝寺舞子はクラスでも物静かで儚い印象を与える生徒だ。
 陽の光が苦手そうな白い肌と、細いが美しくて長い手足。やんわりと優しい瞳に、控えめだが落ち着いた物腰。クラスでも特に目立つほうの生徒ではないが、誰とでも垣根なく接することのできる稀有な人間だ。僕もそれほど彼女と親しいわけではないけど、普通に会話するくらいなら日常茶飯事だ。その点では、那生も同じだろう。
 東京の闇に巣食う『闇の使徒』なる存在と対面し、朔夜という名の少女に助けられた次の日の昼休み、僕は図書室に足を向けていた。そこには案の定宝寺さんが居て、本の整理をしていた。彼女は別に図書委員というわけではなく、そもそもこの学園に図書委員という役職は存在しない。それはあくまで彼女が自発的にやっていることだった。何でも彼女は読書が趣味で図書室の司書とも仲が良いので、空いた時間に司書の手伝いをしているらしい。これに限らず彼女はボランティアが日常の一環になっているらしく、常に誰かの手伝いをしているらしい。ここら辺がいろんな人に彼女が受け入れられている要因の一つだろう。
 僕は本の整理を手伝いながら宝寺さんと話していた。彼女は話しながらも手を休めることなく、手際よく返却された本を指定の本棚に納めていた。ここの図書室では借りた本は元の場所に直接返すのではなく、一度返却ボックスを通してから所定の位置に戻す方法をとっていた。その方が本を綺麗に並べることができて、目当ての本を探しやすいのだという。ここの司書のこだわりみたいなものだ。だがいかんせん図書委員が存在しないので、司書だけでは仕事が追いつかない。それを宝寺さんのようなボランティアで補っているというわけだ。
「『ギブ・アンド・テイク』ですよ」
 それが彼女の口癖だ。
 彼女の場合は『ギブ』ばかりで『テイク』がないような気もするけど、それは口にしないでおこう。
 それでなぜ僕が彼女のボランティアの手伝いをしているかというと、それにはちょっとした事情があった。
「それにしても、彩川さんは無事なのでしょうか?」
 普段の何気ない会話の中、宝寺さんは心底心配そうに那生の名前を出した。彼女らしいといえば彼女らしいが、宝寺さんの言葉で僕は少し黙ってしまった。
「……あ、すみません」
 僕の表情が暗くなったのを見て、宝寺さんは慌てて謝罪の言葉を述べた。
「黒宮さんも辛いですよね。……黒宮さんは、彩川さんと一番仲が良かった方ですし。すみません、黒宮さんの気持ちも考えないで。私、無責任なことを言ってしまって……」
「……いいよ。別に宝寺さんは悪くないんだし。僕が勝手に悪い方向に想像しちゃっただけだから」
「そうですか?」
「そうだよ。だから、宝寺さんまで暗い顔しないで」
 そこで僕は宝寺さんを安心させるために無理にでも笑った表情を見せた。そうでもしなくては彼女は暗い顔のままだ。僕も、気分が後ろ向きになってしまう。僕はここに彼女に聞きたいことがあってきた。こんなところで躓いていては、探している人なんて見つかるはずがない。
「それで、宝寺さんに聞きたいことがあるんだけど……」
「……? はい、何でしょうか」
 那生は自分から進んで姿を消した。それは今までの失踪事件とは明らかに異なる点だった。そして、一連の失踪事件が『闇の使徒』によるものだというのも事実だろう。
 彩川那生は『闇の使徒』と何らかの関係があり、それで自分から行方を晦ませたのではないだろうか。
それが僕の考えだった。
彼女が失踪する前に僕に残した言葉は、僕を危険なことに巻き込ませないための予防線だったのではないのだろうか。あのときの那生はどこかおかしかった。何かを故意に隠しているような、それでいて完璧には隠しきれていない不自然さがあった。ならば、彼女は他にも手がかりを残しているかもしれない。
 そう考えた僕は、情報収集として、身近な人からあたってみることにした。那生と宝寺さんは共に読書家ということもあり、よく話をしていたりした。その間に何か失踪の手がかりになることを宝寺さんに話しているかもしれない。
「彩川さんがいなくなる前の、彼女の不自然な行動ですか……?」
「そう。それ以外にも、ちょっとしたことでいいんだ。何かいつもと違った雰囲気とか、些細な違和感でもいいんだ。何か気づいたことはない? 宝寺さん」
「そうですね……」
 そこで彼女は押し黙るように考えた。自分の記憶を探っているのだろう。
 数分して、宝寺さんは何かを思い出したのか、静かに口を開いた。
「本当に些細なことなんですけど……」
 宝寺さんの言ったことをまとめるとこうだった。
 数ヶ月前から生徒の間で真しやかに噂されている都市伝説に、『東京二十四番目の区』というものがあるらしい。それはなんでも、現実とは別の空間に存在し、東京の各地にその異空間に繋がる穴が空いているらしい。その穴からは異空間に棲んでいる化物が出てきて、人間をさらってしまう。さらわれた人間は異空間に連れて行かれて、一生現実世界には戻っては来られないというのだ。それが『東京二十四番目の区』だそうだ。
 普通だったら、そんな夢みたいな話を信じる者はいないだろう。しかしそれが、現実的に人が消えているなら話は別だ。決定的な証拠はなくとも、連続失踪事件という不可解な現象付きだと現実味を帯びてくる。同じ説明できない謎として、話はさらに大きくなり、真実かどうかはともかく恐怖の対象として人の心に取り憑いてくる。それが都市伝説という形で具現化したのだ。東京に住むものなら恐れて話題になるのも頷ける。
 都市伝説の詳細を話した後、宝寺さんは肝心の部分を僕に話してくれた。
「那生がその都市伝説のことを執拗に聞いてきた?」
「執拗にってわけではないんですけど……どこか必死そうというか、真剣に話を聞いてきたんです。私も都市伝説については話半分というか、よくある噂の類として聞いていたので詳しくは知らなかったんですが、あの真剣さはとても面白半分で知りたがっているようではなかったんです」
 どういうことだろうか? 普段の那生を知っていれば、そのような噂話に真剣になるような人物ではないことはすぐにわかるだろう。つまり、都市伝説は彼女にとって何か重要な事項だったということだ。
 まさか、闇の使徒は異世界から来た化物とでも言うのだろうか。そんなふざけた話が真実だとは思えないが、これまで体験したことを考えると完全に否定もできない。あの異様な存在を目撃してしまうと、何が現実で何が幻想なのかの境界が曖昧になってしまう。すでに僕は平凡な日常から危険な非日常へと足を踏み入れてしまっている。これからは本当に何が起こってもおかしくはない。これからどんなことがおきても受け入れる覚悟をしなければならない。これも、与太話としてないがしろにしていい情報ではない。
「ありがとう。他に何か気づいたことはない?」
「他に……ですか?」
 僕の無茶な要求にも宝寺さんは真剣に考えてくれたが、他には思いつかなかったらしい。
「……すみません。あまり力になれなくて」
「いや、話をしてくれただけで十分だよ。本当に助かったよ」
 今は真実と嘘の区別もできない状況なのだ。ならば、そのための判断材料として必要だろう。決して不必要な情報ではない。
「彩川さん、無事だといいですね」
「きっと無事だよ、那生は。その内、ひょっこり顔を出すかもしれないよ。何事もなかったように突然現れて、『何かあったのかい?』ってとぼけるに決まっている」
「ふふ。それは彩川さんらしいですね」
 冗談でも、明るく振舞うべきだ。それが、僕にできる精一杯の対応だった。
「そういえば、黒宮さんはあの事件についてご存知ですか?」
 それは急な話題転換だった。
 宝寺さんは都市伝説の話のときよりも輪をかけて真剣な表情になった。
 僕も自然と真剣に宝寺さんの話に耳を傾ける。
「なんでも最近、ここら辺で殺人事件があったそうなんです」
「殺人事件?」
「はい。一昨日の明け方に発見されたそうなので、犯行は深夜のうちに行われたのでしょうね。家の中で家族がバラバラ死体になっていたそうなんです」
「それは……残酷な事件だね」
 そんな大変な事件があったなんて知らなかった。那生のことで頭が一杯で、新聞やテレビのニュースもろくに見ていなかったから。きっとクラスでも話題になっていたはずだけど、僕には聞こえなかったのだろう。
 宝寺さんは続けた。
「それはもう酷い有様だったそうなんです。居間中血だらけで、被害者の人数すら判別できなかったらしいんです。肉体が原形を留めてないほど引き裂かれていて、とても人間業とは思えないって。怖いですよね」
 彼女の表情からも、事件の凄惨さが容易に想像できる。
「それで、犯人は?」
「それが、まだ見つかっていないんです。それどころか、単独犯なのか複数犯なのか、動機や目的も分かっていなくて」
「……そうなんだ」
「だから、黒宮さんも気をつけてくださいね。家の中にまで押し入られたらどうしようもありませんが、せめて注意をしていてください」
「わかった。忠告ありがとう」
「そんな、忠告だなんて。私は、彩川さんも黒宮さんも同等に心配なだけですよ」
「はは。そういうところが宝寺さんらしいや」
「もう。からかわないでくださいよ」
「ごめんごめん」
 宝寺さんもそこで緊張が解けたのか、いつもの優しい笑顔に戻った。
 僕も自然に笑えた気がした。
 残りの昼休みは、そんな当たり障りのない会話で過ぎていった。

 ただ一つ、拭いきれない波紋の音を残して。




 ……Next 第二夜 其の二 君の影

テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

月下の王 part6

 第二夜 其の二 君の影


「……来たようだな」
 朔夜は校門前で僕を待っていた。
 昨日の件で僕と行動を共にするとは言ってたが、まさか僕の帰りを待ち構えているとは思わなかった。しかも、遠くからでも目立つ漆黒のコートを着て、その美貌も相まって完全に浮いている。僕と謎の美少女が一緒にいる姿を他の生徒から不審そうに見られているのを僕は我慢しなければならなかった。
「……よく僕の通ってる学校がわかったね」
「昨日の件のあと、勝手ながらオマ……葉流の身辺を調べさせてもらった。私立白坂高校一年二組黒宮葉流。五月三十日生まれの双子座のA型。家族構成は両親に妹が一人の四人家族。父親が外資系のサラリーマンで母親が専業主婦。妹は中学二年生で剣道部の部長をやっているそうだな」
「どれだけ調べたんだよ……」
 この娘に個人情報の大切さというものを教えてやりたかった。
「それで、僕の身辺を調べてみて何かわかったことは?」
「特には。本当になんの面白味もないやつだな。闇の使徒にケンカを売るようなやつだからどんな大物かと思って調べてみれば、葉流からは大した情報がでないんだ。あたしの期待を返してくれ」
「知らないよ、そんなの……」
 このまま立ち話をしていても無駄に注目を集めるだけだ。明日にはクラスで変な噂を流されかねない。さっさと場所を移した方がいいだろう。
「それにしても、こんな目立つ場所でどのくらい待ってたのさ」
「なに、たったの一時間程度だ。時折男子学生から嫌らしい目つきで見られたが、睨み返してやればねずみのように逃げ去っていく。まったく軟弱な男どもだ」
「君も暇だなぁ。学校には通ってないの?」
「あたしに学校など不要だ。勉強する必要もガキどもと戯れている余裕もない。あたしの存在意義は、闇の使徒を殺し尽くすことだけだ」
「……だからそんなに無愛想なのか。いつも不機嫌そうだし」
「余計なお世話だ! さぁ時間もないことだしさっさと行くぞ!」
 おまけに短気だ。ただ、感情の起伏が激しいだけなのかもしれないけど。
「ところで、僕らはどこに向かってるんだ? 闇の使徒を倒しにいくのか?」
「闇の使徒は夜間でないと出現しない。その点では、日中の安全は保証されていると言っていいな」
「やっぱり闇の使徒が連続失踪事件の犯人なのか?」
「ああ、それは間違いない。我々十六夜が調査したところ、わかっているだけで二百件以上の被害が報告されている。……その被害者リストの中に君の友人の名前はなかったがな」
「そうか……」
 良かった。これで最低でも那生がこの世界から消えていないことがわかった。なぜ彼女が行方をくらましているかという根本的な疑問は残るが、那生がどこかにいることは確かだ。それだけわかれば、僕は大丈夫だ。
「……あれ、その『十六夜』ってなんなんだ?」
「政府直下の闇の使徒特別対策室、通称『十六夜』。本来は東日本の夜徒(ヤト)を管理する組織に過ぎなかったが、闇の使徒の横行により闇の使徒の討伐をメインに活動する組織だ」
「え……ヤ、ト……?」
「ああ、済まない。唐突に色々聞かされても混乱するだけだな。こういうのは順序立てて説明した方がわかりやすい」
 朔夜は歩きながらも途切れることなく説明してくれた。
「葉流も昨日見ただろう、あたしが持ってた巨大な鎌」
「ああ、うん」
「あれは霊器といって、己の信念や存在意義、精神や意志といったものを結晶化したものだ。一種の超能力みたいなものだな。形状は人それぞれだが、その異能を発揮できる条件は皆決まっている」
「その条件って?」
「霊器が発現できるのは日が沈んでいる夜間に限る。日中は異能の力を発揮できないんだ。だからあたしたちは夜の使徒という意味で『夜徒』と呼んでいる」
「じゃあ、今はその……霊器、だっけ? あの鎌は出せないの?」
「そういうことになるな。夜徒になれば身体能力も飛躍的に上昇するが、肝心の霊器は使えない。今のあたしはそこら辺にいる普通の女と変わらない、無力な存在だ」
 何かを悔やむように、何かを貶すように朔夜は語る。
 その横顔がとても見ていられなかったから。
「……つまり、君たちみたいな夜間限定の異能力者を夜徒と呼び、その夜徒の組織が十六夜。で、十六夜の目的が闇の使徒を倒すこと……であってる?」
「要約するとその通りだ。頭悪そうな顔の割には理解は早いんだな」
「それ絶対馬鹿にしてるだろ」
「褒めてはいない」
「可愛くないな」
「可愛くする必要なんてあたしにはない」
 そうやって取り止めのない会話で場を流す。
 最初は取っ付きにくい人間かとも思ったが、案外普通に話ができる。多少言葉に棘があるが、それもいずれ慣れるだろう。
「……ここって」
「葉流は知らないのか? 親友の家だろ?」
「親友といっても彼女の家にお邪魔したことはないんだ」
「甲斐性のないやつ」
「う……」
 朔夜に連れられてやってきたのは、白坂高校から地下鉄で二駅ほど移動した高級住宅街、その一角。門前に仰々しい表札で『彩川』と掲げられているのだ。ここが那生の実家なのだろう。
「……それにしても、立派な家だね」
「彩川那生の父親は元政治家の彩川逸夫氏だ。……もっとも、現在は彼女しか住んでいないようだがな」
「そういえば、那生とそんな話をしたことがあるような……」
 あれは確か、六月頃だったかな?
「でも、なんで那生の家に?」
「ちょっと調べ物だ」
 そう言うと、朔夜はコートのポケットからおもむろに鍵を取り出し、ガチャリ。
 ――って、
「なんで朔夜が那生んちの鍵を持ってるんだよ!?」
「言い忘れていたが、彩川那生の兄である彩川昇はあたしたち十六夜の室長。つまり上司だ」
「……え?」
 どういうこと?
「父親の繋がりもあって、彩川室長は闇の使徒特別対策室を設立。以降、闇の使徒殲滅の最前線に立っているというわけだ」
「ちょ、ちょっと待って!?」
「なんだ?」
「じゃあどういうこと!? 那生は朔夜たちの仲間ってことか? それで闇の使徒に関わったばっかりに」
「落ち着け、黒宮葉流」
「で、でも!」
「彩川那生は十六夜には所属していない、普通の一般人だった」
「……え?」
「室長も妹をあまり危険な目には合わせたくなかったんだろう。十六夜の情報は機密性が高いものも多いから、兄妹間でも情報の交換はなかったはずだ」
「だったらなんで失踪を……」
「その理由を探すために来たんだ」
「勝手にお邪魔していいのか?」
「室長からの許可はもらった。彩川那生の部屋に入ってもいいそうだ」
「う……罪悪感」
「失踪した親友を見つけだしたいんだろ? だったら覚悟を決めるしかない」
「覚悟……」
 彼女の家に無断であがるという後ろめたさと、未知の領域への期待感。
 相反する気持ちを抱きながら、僕は那生の家に踏み込んだ。

 主が不在の家屋は当然のように静まり返っていた。
 ここに彼女は住んでいるのだ。
 家中から那生の匂いがする。当たり前だが。緊張する。那生の家。プライベート。僕の知らない那生がここにある。彼女の姿がかぶる。胸が高鳴る。この感情は? 背徳感? 興奮? ありえない。不謹慎だ。別に遊びにきたわけではないのだ。考えろ。頭を働かせるんだ。彼女の手がかりを見つけるんだ。
 朔夜が先頭になって廊下を歩く。彼女は家の構造を知っているのだろうか。迷うことなくリビングを横切り、階段を上り、二階の一番奥の部屋にたどり着いた。
 部屋の扉には『那生』のプレートが。
「……ここだな」
 ここが。
 那生の部屋。
 とくん。とくん。とくん。とくん。
 心臓の音。
 きた。
 とうとう。
 朔夜がドアノブをひねる。
 鍵は掛かっていなかった。
 キィ。扉が開いた。
 恐る恐る覗く。
 ベッド、机が見える。
 本棚、かなり大きい。千冊以上は収容されているんじゃないだろうか。
 彼女らしいシックな部屋だった。
 八畳ほどのスペースに、家具は机とベッド、クローゼットに本棚くらい。壁紙やカーテンは白で統一され清潔感がある。ポスターやファンシーグッズの類は見られない。無駄なものが一切ない、那生という存在を体現した部屋。ある意味予想通りといった感じだろうか。
「パソコン……はさすがにロックがかかっているか。おい、葉流はパソコンに詳しくはないのか?」
「そんなに詳しくはないけど……ってなに勝手に起動してるの!?」
「何か情報を残しているかと思ったが……仕方ない。他を探すか」
 パソコンから興味を失った朔夜はすぐさま本棚をあさる。この娘には他人の部屋を探るという行為に抵抗はないんだろうか。
「純文学、思想書、哲学書、科学物理経営学、なんでもあるな。彩川那生は相当本好きだったようだな」
「暇なときは大抵読書をしてたからね。読書が趣味というか、ただの暇つぶしだったようだけど。それでもジャンル関係なく何でも読んでいたから、本の虫ではあったんだと思う」
 時には動物図鑑から児童書まで読んでいた。見境がないにもほどがある。
「はー」
 自分から訊いたのに関心はないのか、気のない返事の朔夜。
 どうにも二人に温度差がある。これもまた仕方のないことか。
 僕は僕で行動するとしよう。
 黙々と捜索活動を続ける朔夜から眼を離し、何気なく机の脇に置いてあるゴミ箱に眼をやる。
「これは……」
 思わず手に取る。
 ゴミ箱に捨てられていたのは、ノートの切れ端と思われる一枚の紙片。
 書かれていたのは数個の言葉のみ。
「……霊器……新宿……二十四区……闇の使徒」
 どういう意味だ?
 やはり那生は闇の使徒を追っていた。宝寺さんの話どおり、都市伝説でしかない東京二十四番目の区にも興味を示していた。それらがどのように繋がっているのか。新宿? 新宿に二十四番目の区があるというのだろうか。それと、霊器。この言葉の真意は……。
「……おい。面白いものを見つけたぞ」
「え?」
 那生が残した紙片に気を取られていると、朔夜が語調を上げて何かを押し付けてきた。
 やけに分厚いファイルだ。
 朔夜がファイルを開く。すると様々な文字や記号が僕の眼に飛び込んできた。
「これは地域別で見た失踪者の割合分布図だろう。失踪者数でいったら新宿、渋谷が断トツだな。そしてこっちは闇の使徒の出没分布図だろうな。この二つを照らし合わせてみれば、闇の使徒が失踪事件に関わっていることは一目瞭然だ」
 ふーん。って、
「何でそんなものが那生の部屋にあるんだよ。那生は闇の使徒とは関わってないし、十六夜とも関係ないんだろ?」
「そのはずだが、これを見る限りでは闇の使徒に関して我々十六夜並か、それ以上に知っていたようだな。十六夜のサーバーからハッキングしたのか独自に調べたのかはわからないが、大したものだ」
 朔夜は感心したのか、素直に那生を賞賛していた。
 そういう問題か、これ。
「なぁ、朔夜の言ってた面白いものってこのことなのか?」
 那生が闇の使徒を追っていることがこれで確定的になったが、別段新情報が手に入ったわけではない。那生を探す手がかりにしては心許ないだろう。
 葉流の不安をよそに、朔夜は目つきを変えて言った。
「違う違う。あたしが気になったのはこっちの方だ」
「こっち?」
 朔夜が指さした方を見た。
 先程の分布図とは少し違う、さっきまでは気にも留めていなかった赤い丸印だ。これは地図の中でも限られた場所にしかついていなく、それまでとは明らかに別の意味を持ってそうだった。
「印がつけられているのは新宿に三つ、渋谷に二つだな。これは十六夜の資料にも載ってなかったはずだ。それはつまり、我々が知らなくて、彩川那生だけが知ってる情報があるということだ」
「それが、手がかり……」
 那生への道しるべが見えた。
 これが本当に那生に繋がっているかはわからない。これがどのような意味を持っているのかもわからない。
 それでも。
 この先に、かならず那生はいる。
 朔夜は言った。
「とりあえず、ここから一番近い赤印の場所の行ってみよう。なにか分かることがあるかもしれない」




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テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

月下の王 part7

 第二夜 追憶三


 僕は雨が嫌いだった。
 理由は色々あるだろう。
 ジメジメするから、身体が濡れるから、洗濯物が乾かないから、外で遊べないから、傘をささなきゃいけないから、まぁ他にも沢山あるだろうが、僕の理由は単純だ。
 鬱陶しいから。
 この一言に尽きる。
「雨、止まないね……」
「天気予報の時点で怪しかったけど、さすがに梅雨だね。折りたたみ傘を持ってきてよかったよ」
「那生は準備がいいね。それに比べて僕ときたら……」
 梅雨だというのに傘のひとつも持ち歩かないのは迂闊としか言いようがない。
「はは。そのおかげで生まれて初めて相合傘というものを体験できて良かった。むしろ葉流に感謝したいくらいだよ」
「うう……情けない」
 普通は男である僕が傘を差し出す立場にあるはずだ。それがこんな惨めな姿に……。
 せめてもの抵抗で傘は僕がさしているものの、この憂鬱な気分はぬぐいきれない。
 やはり雨はキライだ。
「今は私の傘があるけどこれからどうする? 途中で別れることになるけど」
「僕はいいよ。濡れて帰るから」
「それでは私の気が済まないよ。それでもし葉流が風邪を引いたら私の責任になる」
「そんな。傘を忘れた僕の責任だよ。那生が気負う必要はない」
 これ以上惨めな思いを味わいたくなかった、というのが本心だ。
 それと同時に、那生に嫌われたくない、どころか、那生に好かれたい、気に入られたいと思うようになっていた。僕は本当に卑しい人間だ。親しい友人ができた途端それに頼り、依存し、あまつさえ自分のものにしようとしている。お前は一体何様だ。自分で自分を貶し罵倒し馬鹿にする。そんな自分がいることに後悔し、那生には知られまいとひた隠しにしている。
 那生にそんな姿を見せたら見限られそうだから。
 那生はそんな人間じゃないことはわかっているのに。
 それでも僕は、僕自身を信用できない。
 そんな僕が嫌いだった。
 それがとてつもなく惨めだったから。
 今日が雨じゃなかったら良かったのに。
 そうすれば、こんな気分にはならなかったのに。
 僕はすべての責任を雨になすりつけ、自分を守る。
 僕は雨が嫌いだと。
 本当に、どうしようもない。
「そうだ。だったら雨宿りでもないけど、ちょっと寄り道しないかい?」
 それは意外な提案だった。
 那生がそんな提案をするなんて。
「……いいけど、どこに?」
「私のお気に入りの場所さ」
 そう言って那生ははにかんだ。まるで自分の秘密を他人に打ち明けるときのように、自分の大切な部分を見せるときのように、那生は普段のクールな表情を崩してみせた。
 それがあまりにも無防備で、儚くて、愛らしいものだったから。
「……う、うん。いいよ。ぜひ、ぜひ連れてって」
 僕は一も二もなく即答した。
 僕は弁解の余地もなく卑しい人間だった。


「……ここは?」
「だから言っただろ、私のお気に入りの場所だって」
 那生に連れてこられたのは、どこか素朴な雰囲気を持つ一軒の喫茶店だった。カウンター席が七つに、ボックス席が五つ。そのどれもが空席で、ほとんど貸切状態だった。雨が降っていることを考慮しても、とても繁盛しているようには見えなかった。
 店内にはクラシック音楽が流れており、店の雰囲気とマッチしていた。曲名は知らないが聞き覚えのある曲だ。どことなく優雅で、どことなく質素で、矛盾しているようで調和のとれた不思議な曲調。僕は自然とその曲に聞き入っていた。
「この喫茶店はマスターが趣味で経営している店でね。常連客しかこないんだ。私もその一人だけど……マスター。いつもの席は空いているよね」
 店のマスターは一昔前の貴族みたいな口髭を蓄えた初老の男性だった。
「空いてるよ。そこの席は君だけのために用意しているようなものだからね」
「他に客がこないだけだろう。常連は同じ席にしか座らないんだから、ほとんど指定席状態だよ」
「これは痛いところをつかれたね。……おや、那生の隣にいる少年は誰だい?」
「彼は私の学校の友人で、黒宮葉流だ」
「……どうも」
「那生が他人を連れてくるなんて珍しいな。……もしかして、ボーイフレンドじゃ」
「マスター、表現が古いよ」
 那生はマスターの言葉を一蹴して、カウンター席の左から二番目の席に座った。僕のことをボーイフレンドと呼んだことに顔色ひとつ変えずに。……まぁ、ボーイフレンドであってるんだけどそこは反応してほしかった、というのは欲が深すぎるか。
 僕もならって那生の隣の席に座る。席の間隔が狭いからか、少し動けば僕の肩に那生の肩がぶつかる。今更席をずらすわけにはいかないので、僕は縮こまって座っていた。……何も、慣れない環境に萎縮してしまっているわけではない。
「マスター、いつもの」
「ブレンドコーヒーだね。すぐにできるよ。……隣の、黒宮君だっけ? 君は?」
「ぼ、僕も那生と同じので」
「那生、か。わかった。君もブレンドだね」
 マスターは含み笑いで去っていった。何かおかしいことでもあったのだろうか。
「常連って言ってたけど、那生はここによく来るの?」
「毎日ってわけじゃないけど、周に二、三回は来るかな。特に、休日で雨が降っていた日は必ずといっていいほどお邪魔するかな」
「雨の日にわざわざ喫茶店に来るのかい? 僕には信じられないことだけど」
「普通は逆なんだろうけどね。なぜだろうか。この席で雨音とクラシックの旋律に耳を傾けながらマスターの淹れてくれたコーヒーを飲む時間は、私にとって至福のひと時なんだよ」
 彩川那生はどこか詩的で、どこか哲学的で、どこか他の人間とは違っていた。今時の女子高生にしては渋い趣味だな、とかそんな小さいことじゃない。他人とは住んでいる世界、見ている領域が違うとでもいうのだろうか。僕が那生に惹かれる理由、依存する根源には、そういった他人とは違う雰囲気があるのだろうか。
「おかしいかな?」
 那生が困ったように問いかけてくる。席が隣だから、当然顔が近い。那生がすぐ近くにいるという事実を今になって意識してしまい、急に気恥ずかしくなってきた。
 僕は慌てて返答する。
「全然おかしくないよ! むしろ、羨ましいよ。那生には……大切な居場所があって」
 僕には他人に誇れるほどの大切な居場所などない。
 それだけで、那生に対して言いようのない劣等感を抱いてしまう。
 この感情は嫉妬なのだろうか?
「はいよ。ブレンドコーヒー、二つお待ち」
 まもなくしてマスターがコーヒーを持ってきた。コーヒーからはもくもくと湯気が立ち昇っており、マスターは『熱いから気をつけて飲んでね』と言うと、そのまま厨房に引っ込んでいった。
「…………」
「…………」
 残されたのは、男女ふたり。
 那生とふたりっきりになることはそれなりにあるのだが、喫茶店でというと話が別だ。
 初めての環境、というだけではない。彩川那生のお気に入りの場所という、今まで知らなかった那生の新しい一面を垣間見た。それだけで動揺しているというのに小心者の僕は、この場でどういう会話をすればいいのか皆目見当付かない状態に陥ってしまった。普段どおりに振舞えばいいものを、その普段どおりが頭から飛んでいった。情けないことこの上ない。
「……あー、えーと」
 なんとか声を振り絞ってはみたものの適当な話題が見つからず、とっさに思いついたことを口にした。
「那生はいつぐらいからここに入り浸ってるの?」
 何気ない僕の問いに、那生は『そうだね……』と感慨深げに応じると、コーヒーで口を潤してから静かに語り始めた。
「確か父さんに連れてこられたのが最初かな。……あれはいつだったかな。小学校に入る前だったから、かれこれ十年近く前になるね」
「そんな前から?」
「ああ。どうも子供との接し方に不慣れな父でね。父さんは政治家だったんだけど、職業柄子供と遊ぶ時間が取れなかったからかもしれない。たまの休みにこの喫茶店に連れてくるのが習慣だった。ただでさえ親子の交流が少ないというのに、何を考えたのか喫茶店でたわいもない話をするのが常でね。……でも、その時だけは確かに一人の子供の父親だった。それは私にとって遊園地や動物園に連れていってもらうことよりも楽しみなことだったんだ。仕事漬けで疲れているはずなのに、そんな顔は一切見せずに私に微笑みかけてくれる父さんの横顔を、私は一生忘れない」
 それは僕の知らない那生だった。
 穏やかでありながら悲哀を浮かべて語る那生の姿。
 その姿が神秘的であり、どこか幻想的だった。
「那生は父親のことが好きなんだね」
「ああ、父さんのことは大好きだし、尊敬してさえいる」
「そうなんだ。今も父親と喫茶店にくるの?」
「いや……」
 那生はそこで言葉を濁した。どこか気まずそうな、言いにくそうな顔だった。訊いちゃいけない話題だったろうか。
「……父さんは五年前に自殺したんだ」
「そんな……」
 踏んだのは特大の地雷だった。
 僕はすぐさま後悔することになる。
「父さんは心優しき政治家だった。いつも日本がより良い国になるように苦心し、誰よりも国民のことを想った政治家だった。私にとって父は誇りであり、目標だった。心の支えと言ってもいい。父さんがいたからこそ今の私は存在している。それだけ私の中で父さんは偉大であり……大きすぎる存在だった」
 そこで一旦話を区切り、コーヒーに手を伸ばす。
 湯気はとうに消え失せ、冷たくなっていた。
「……だからこそ、父さんの死はショックだった。私が私でなくなるくらい、彩川那生が死ぬぐらい致命的だった。まだ交通事故で死亡、とかの方がショックは少なかったかもね。父は私の目標だったから、その父さんの最後が自殺なんて信じられなかった。そんな、父さんだけは絶対しないと思っていたのだから。あれだけ強い意志を持った人が、自分で自分の命を絶つなんてありえなかった。ありえないはずだった。それでも起こってしまった。どれだけ否定しようが、目を背けようが、現実は現実でしかなかった。事実は覆らない。願っても、縋っても、父さんは生き返らないのだから……」
 彩川那生は話を終えた。
 那生が話し始めてからどれだけの時間が経過しただろう。
 わからない。今の話を聞いて、那生にどう話しかければいいかなんてわかるはずもない。
 だから、最初の言葉は単純だった。
「……ごめん」
「何を謝っているんだよ。葉流は何もしてないじゃないか」
「いや、でも……気軽に聞いていいことじゃなかった」
「それは違うよ。葉流が謝ることじゃない。むしろ、葉流が気を悪くしたなら私が謝るべきことだ。済まない、話しても楽しい話題ではなかった」
 そうだ。わかっていた。
 那生は優しいから。僕が謝ってもそれを否定して、逆に自分が謝るに決まっていた。
 わかっていたはずなのに、那生に謝らせてしまった。
 那生は悪くないのに。
 後悔するしかなかった。
「……父さんは死んでしまったけど、私は幸せだよ。……こうして、葉流と一緒にここに来ることができたのだから」
 暗に『私は大丈夫』とでも言うように微笑む那生。僕のために無理をして表情を作っているのだろうか。だとしたら、その責任は僕にある。
「……ねぇ、ひとつ、いいかな?」
「なんだい?」
「もし那生が良かったらでいいんだけど」
 僕は那生の一番深い部分に触れてしまった。
 安易だったかもしれない。
 それでも、那生のことを少しでも知れて良かったとも思っている。
 本当に卑しい人間だ。
 その卑しい人間の罪滅ぼしになるのなら。
 せめてもの贖罪になるのなら。
「雨の休日は僕もここに来ても良いかな?」
「……それは本当かい?」
 那生の表情が急に明るくなった。
 僕を気にしての作り笑いではない、素の笑顔だ。
「本当に。どうせ休日は暇してるし。例え雨の日でも、那生がいるなら来る価値があるかな……と。生意気かな?」
「そんなことないよ。私も一人よりは二人の方が楽しいし、それが葉流なら尚更さ。そうか、それなら休みの日が雨だったなら、ここで待ち合わせにしようか」
「それ、いいね」
 僕じゃ父親の代わりにはならないと思うけど。
 それでも、那生が笑ってくれるなら。
 休みの日が雨だったなら、喫茶店は僕らの集合場所だ。
 それは僕にできた、新しい居場所。
 なんだか雨の日が待ちどうしくなってきた。

 その日、僕は少しだけ雨が好きになった。




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テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

友井架月

Author:友井架月
筆名:友井架月(ともいかづき)
性別:男
血液型:A型
誕生日:5月30日
趣味:創作活動
詳細:平成生まれの自由人。より良い作品を残すために日々模索中
ピクシブにて18禁らしい小説も投稿中。

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