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月下の王 part7

 第二夜 追憶三


 僕は雨が嫌いだった。
 理由は色々あるだろう。
 ジメジメするから、身体が濡れるから、洗濯物が乾かないから、外で遊べないから、傘をささなきゃいけないから、まぁ他にも沢山あるだろうが、僕の理由は単純だ。
 鬱陶しいから。
 この一言に尽きる。
「雨、止まないね……」
「天気予報の時点で怪しかったけど、さすがに梅雨だね。折りたたみ傘を持ってきてよかったよ」
「那生は準備がいいね。それに比べて僕ときたら……」
 梅雨だというのに傘のひとつも持ち歩かないのは迂闊としか言いようがない。
「はは。そのおかげで生まれて初めて相合傘というものを体験できて良かった。むしろ葉流に感謝したいくらいだよ」
「うう……情けない」
 普通は男である僕が傘を差し出す立場にあるはずだ。それがこんな惨めな姿に……。
 せめてもの抵抗で傘は僕がさしているものの、この憂鬱な気分はぬぐいきれない。
 やはり雨はキライだ。
「今は私の傘があるけどこれからどうする? 途中で別れることになるけど」
「僕はいいよ。濡れて帰るから」
「それでは私の気が済まないよ。それでもし葉流が風邪を引いたら私の責任になる」
「そんな。傘を忘れた僕の責任だよ。那生が気負う必要はない」
 これ以上惨めな思いを味わいたくなかった、というのが本心だ。
 それと同時に、那生に嫌われたくない、どころか、那生に好かれたい、気に入られたいと思うようになっていた。僕は本当に卑しい人間だ。親しい友人ができた途端それに頼り、依存し、あまつさえ自分のものにしようとしている。お前は一体何様だ。自分で自分を貶し罵倒し馬鹿にする。そんな自分がいることに後悔し、那生には知られまいとひた隠しにしている。
 那生にそんな姿を見せたら見限られそうだから。
 那生はそんな人間じゃないことはわかっているのに。
 それでも僕は、僕自身を信用できない。
 そんな僕が嫌いだった。
 それがとてつもなく惨めだったから。
 今日が雨じゃなかったら良かったのに。
 そうすれば、こんな気分にはならなかったのに。
 僕はすべての責任を雨になすりつけ、自分を守る。
 僕は雨が嫌いだと。
 本当に、どうしようもない。
「そうだ。だったら雨宿りでもないけど、ちょっと寄り道しないかい?」
 それは意外な提案だった。
 那生がそんな提案をするなんて。
「……いいけど、どこに?」
「私のお気に入りの場所さ」
 そう言って那生ははにかんだ。まるで自分の秘密を他人に打ち明けるときのように、自分の大切な部分を見せるときのように、那生は普段のクールな表情を崩してみせた。
 それがあまりにも無防備で、儚くて、愛らしいものだったから。
「……う、うん。いいよ。ぜひ、ぜひ連れてって」
 僕は一も二もなく即答した。
 僕は弁解の余地もなく卑しい人間だった。


「……ここは?」
「だから言っただろ、私のお気に入りの場所だって」
 那生に連れてこられたのは、どこか素朴な雰囲気を持つ一軒の喫茶店だった。カウンター席が七つに、ボックス席が五つ。そのどれもが空席で、ほとんど貸切状態だった。雨が降っていることを考慮しても、とても繁盛しているようには見えなかった。
 店内にはクラシック音楽が流れており、店の雰囲気とマッチしていた。曲名は知らないが聞き覚えのある曲だ。どことなく優雅で、どことなく質素で、矛盾しているようで調和のとれた不思議な曲調。僕は自然とその曲に聞き入っていた。
「この喫茶店はマスターが趣味で経営している店でね。常連客しかこないんだ。私もその一人だけど……マスター。いつもの席は空いているよね」
 店のマスターは一昔前の貴族みたいな口髭を蓄えた初老の男性だった。
「空いてるよ。そこの席は君だけのために用意しているようなものだからね」
「他に客がこないだけだろう。常連は同じ席にしか座らないんだから、ほとんど指定席状態だよ」
「これは痛いところをつかれたね。……おや、那生の隣にいる少年は誰だい?」
「彼は私の学校の友人で、黒宮葉流だ」
「……どうも」
「那生が他人を連れてくるなんて珍しいな。……もしかして、ボーイフレンドじゃ」
「マスター、表現が古いよ」
 那生はマスターの言葉を一蹴して、カウンター席の左から二番目の席に座った。僕のことをボーイフレンドと呼んだことに顔色ひとつ変えずに。……まぁ、ボーイフレンドであってるんだけどそこは反応してほしかった、というのは欲が深すぎるか。
 僕もならって那生の隣の席に座る。席の間隔が狭いからか、少し動けば僕の肩に那生の肩がぶつかる。今更席をずらすわけにはいかないので、僕は縮こまって座っていた。……何も、慣れない環境に萎縮してしまっているわけではない。
「マスター、いつもの」
「ブレンドコーヒーだね。すぐにできるよ。……隣の、黒宮君だっけ? 君は?」
「ぼ、僕も那生と同じので」
「那生、か。わかった。君もブレンドだね」
 マスターは含み笑いで去っていった。何かおかしいことでもあったのだろうか。
「常連って言ってたけど、那生はここによく来るの?」
「毎日ってわけじゃないけど、周に二、三回は来るかな。特に、休日で雨が降っていた日は必ずといっていいほどお邪魔するかな」
「雨の日にわざわざ喫茶店に来るのかい? 僕には信じられないことだけど」
「普通は逆なんだろうけどね。なぜだろうか。この席で雨音とクラシックの旋律に耳を傾けながらマスターの淹れてくれたコーヒーを飲む時間は、私にとって至福のひと時なんだよ」
 彩川那生はどこか詩的で、どこか哲学的で、どこか他の人間とは違っていた。今時の女子高生にしては渋い趣味だな、とかそんな小さいことじゃない。他人とは住んでいる世界、見ている領域が違うとでもいうのだろうか。僕が那生に惹かれる理由、依存する根源には、そういった他人とは違う雰囲気があるのだろうか。
「おかしいかな?」
 那生が困ったように問いかけてくる。席が隣だから、当然顔が近い。那生がすぐ近くにいるという事実を今になって意識してしまい、急に気恥ずかしくなってきた。
 僕は慌てて返答する。
「全然おかしくないよ! むしろ、羨ましいよ。那生には……大切な居場所があって」
 僕には他人に誇れるほどの大切な居場所などない。
 それだけで、那生に対して言いようのない劣等感を抱いてしまう。
 この感情は嫉妬なのだろうか?
「はいよ。ブレンドコーヒー、二つお待ち」
 まもなくしてマスターがコーヒーを持ってきた。コーヒーからはもくもくと湯気が立ち昇っており、マスターは『熱いから気をつけて飲んでね』と言うと、そのまま厨房に引っ込んでいった。
「…………」
「…………」
 残されたのは、男女ふたり。
 那生とふたりっきりになることはそれなりにあるのだが、喫茶店でというと話が別だ。
 初めての環境、というだけではない。彩川那生のお気に入りの場所という、今まで知らなかった那生の新しい一面を垣間見た。それだけで動揺しているというのに小心者の僕は、この場でどういう会話をすればいいのか皆目見当付かない状態に陥ってしまった。普段どおりに振舞えばいいものを、その普段どおりが頭から飛んでいった。情けないことこの上ない。
「……あー、えーと」
 なんとか声を振り絞ってはみたものの適当な話題が見つからず、とっさに思いついたことを口にした。
「那生はいつぐらいからここに入り浸ってるの?」
 何気ない僕の問いに、那生は『そうだね……』と感慨深げに応じると、コーヒーで口を潤してから静かに語り始めた。
「確か父さんに連れてこられたのが最初かな。……あれはいつだったかな。小学校に入る前だったから、かれこれ十年近く前になるね」
「そんな前から?」
「ああ。どうも子供との接し方に不慣れな父でね。父さんは政治家だったんだけど、職業柄子供と遊ぶ時間が取れなかったからかもしれない。たまの休みにこの喫茶店に連れてくるのが習慣だった。ただでさえ親子の交流が少ないというのに、何を考えたのか喫茶店でたわいもない話をするのが常でね。……でも、その時だけは確かに一人の子供の父親だった。それは私にとって遊園地や動物園に連れていってもらうことよりも楽しみなことだったんだ。仕事漬けで疲れているはずなのに、そんな顔は一切見せずに私に微笑みかけてくれる父さんの横顔を、私は一生忘れない」
 それは僕の知らない那生だった。
 穏やかでありながら悲哀を浮かべて語る那生の姿。
 その姿が神秘的であり、どこか幻想的だった。
「那生は父親のことが好きなんだね」
「ああ、父さんのことは大好きだし、尊敬してさえいる」
「そうなんだ。今も父親と喫茶店にくるの?」
「いや……」
 那生はそこで言葉を濁した。どこか気まずそうな、言いにくそうな顔だった。訊いちゃいけない話題だったろうか。
「……父さんは五年前に自殺したんだ」
「そんな……」
 踏んだのは特大の地雷だった。
 僕はすぐさま後悔することになる。
「父さんは心優しき政治家だった。いつも日本がより良い国になるように苦心し、誰よりも国民のことを想った政治家だった。私にとって父は誇りであり、目標だった。心の支えと言ってもいい。父さんがいたからこそ今の私は存在している。それだけ私の中で父さんは偉大であり……大きすぎる存在だった」
 そこで一旦話を区切り、コーヒーに手を伸ばす。
 湯気はとうに消え失せ、冷たくなっていた。
「……だからこそ、父さんの死はショックだった。私が私でなくなるくらい、彩川那生が死ぬぐらい致命的だった。まだ交通事故で死亡、とかの方がショックは少なかったかもね。父は私の目標だったから、その父さんの最後が自殺なんて信じられなかった。そんな、父さんだけは絶対しないと思っていたのだから。あれだけ強い意志を持った人が、自分で自分の命を絶つなんてありえなかった。ありえないはずだった。それでも起こってしまった。どれだけ否定しようが、目を背けようが、現実は現実でしかなかった。事実は覆らない。願っても、縋っても、父さんは生き返らないのだから……」
 彩川那生は話を終えた。
 那生が話し始めてからどれだけの時間が経過しただろう。
 わからない。今の話を聞いて、那生にどう話しかければいいかなんてわかるはずもない。
 だから、最初の言葉は単純だった。
「……ごめん」
「何を謝っているんだよ。葉流は何もしてないじゃないか」
「いや、でも……気軽に聞いていいことじゃなかった」
「それは違うよ。葉流が謝ることじゃない。むしろ、葉流が気を悪くしたなら私が謝るべきことだ。済まない、話しても楽しい話題ではなかった」
 そうだ。わかっていた。
 那生は優しいから。僕が謝ってもそれを否定して、逆に自分が謝るに決まっていた。
 わかっていたはずなのに、那生に謝らせてしまった。
 那生は悪くないのに。
 後悔するしかなかった。
「……父さんは死んでしまったけど、私は幸せだよ。……こうして、葉流と一緒にここに来ることができたのだから」
 暗に『私は大丈夫』とでも言うように微笑む那生。僕のために無理をして表情を作っているのだろうか。だとしたら、その責任は僕にある。
「……ねぇ、ひとつ、いいかな?」
「なんだい?」
「もし那生が良かったらでいいんだけど」
 僕は那生の一番深い部分に触れてしまった。
 安易だったかもしれない。
 それでも、那生のことを少しでも知れて良かったとも思っている。
 本当に卑しい人間だ。
 その卑しい人間の罪滅ぼしになるのなら。
 せめてもの贖罪になるのなら。
「雨の休日は僕もここに来ても良いかな?」
「……それは本当かい?」
 那生の表情が急に明るくなった。
 僕を気にしての作り笑いではない、素の笑顔だ。
「本当に。どうせ休日は暇してるし。例え雨の日でも、那生がいるなら来る価値があるかな……と。生意気かな?」
「そんなことないよ。私も一人よりは二人の方が楽しいし、それが葉流なら尚更さ。そうか、それなら休みの日が雨だったなら、ここで待ち合わせにしようか」
「それ、いいね」
 僕じゃ父親の代わりにはならないと思うけど。
 それでも、那生が笑ってくれるなら。
 休みの日が雨だったなら、喫茶店は僕らの集合場所だ。
 それは僕にできた、新しい居場所。
 なんだか雨の日が待ちどうしくなってきた。

 その日、僕は少しだけ雨が好きになった。




……Next 第二夜 其の三 鬼人

テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

友井架月

Author:友井架月
筆名:友井架月(ともいかづき)
性別:男
血液型:A型
誕生日:5月30日
趣味:創作活動
詳細:平成生まれの自由人。より良い作品を残すために日々模索中
ピクシブにて18禁らしい小説も投稿中。

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