だらだらと
適当日記――テストの問いの『適当なものを選べ』ってのは、別に当てずっぽうに選べって意味じゃないよね!?
本日というか昨日というか、我が学校は終業式でした。終業式が終わると、一般的な意味での冬休みです。
かといって今年は、そんなにのんびりもしてられないんですけどね。
周りは受験でてんやわんやだし、俺は二学期の単位が足りなくててんやわんやだし。
これから二学期の後片付けに奔走します。何もかもが終わってるよ。
どーも、友井架月です。
昨日短編を一つ書き終えたので、今日はちょっと小休止。
これからの構想を脳内で練りつつ、気分転換とかやったりしてます。
それでもまったく関係ない小説を書いたりもしていたんですが、それはまた別の話。
今日はそんなこんなで、雑談っぽくやっていきます。
話に脈略がなかったり、適当にだらだらと駄弁るだけかもしれませんが、気分転換にどうぞ付き合ってやってください。
とりあえず萌えたい。
……いきなりすぎた。要約すると、癒されたいという意味です。ふしだらな意味はこめてません。
多忙な日々を送ることで精神的に追い詰められたりしているので、ここは一つ癒されたいということです。
そこでいきなり『萌え』と直結しているところがアレな感じがしますが、それはただの偏見です。
たとえば、犬や猫を見て和やかな気分になったり、大自然を眺めて心が洗われたり、好きな歌を聴いて心地よくなったりと、それら『癒し』に分類されるものたちの一要素としての『萌え』です。
何も知らない人たちはよく『萌え』と『エロ』を混同させがちですが、両者はまったくの別物です。
後者は本能的な欲求ですが、前者は理性的な欲求です。そういうと、なんかカッコよくなりますが。
萌えはオタクだけの文化だと思われがちですが、意外と誰の心にでも根付いているものです。
たとえば、赤ちゃんの寝顔を見て癒されるのも、突き詰めてしまえば萌えと同じです。
あくまで友井が考えている萌え感覚ですが、あながち間違ってはいないと思います。
萌えるという行為は、誰にでも経験しうるものですし、気づいていないのは実感がわかないだけで、言葉とそれが意味するものを、正確に理解していないだけなのです。
海がない内陸国の先住民の人たちに、海魚と川魚の違いを説明しようとも理解されないのと同じです。
ああ、なんか今日はたとえ話がぽんぽんでるな。小説でもこんな感じにすらすら出れば良いのに。
理屈はだらだらと述べていますが、早い話、現実逃避したいだけなんですが。
友井が小説なんてものを書いている時点で、それは現実逃避以外の何者でもないんですが、そう断言してしまうと夢がなくなってしまう。それ以上は露骨になってしまうので、ここはあえて追求しません。
まあ、自分の小説を読んで萌えなくもないんですが。
きららの何気ない仕草なんてぐっときます。自分の娘のような存在なんで、可愛くないわけがないんですが。
それはそれ、あれはあれ。自分の小説を自画自賛するのもいいんですが、ここはやっぱり他作品に触れたいと思うのは必然です。意欲的にとりくむなら、他の人の作品で勉強するのは当然です。
話がずれましたが、要は感動したいんです。温もりを感じたいんです。そんなもんです。
今もいろんな小説を読んだりアニメを見たりゲームをしたりしていますが、さらにその先を求めたくなるのが欲望というもので、いっそのことグリードになりたいって思います。そういえば、鋼の錬金術師が四月からまたアニメ始まりますね。今度は原作どおりにやるようですが、果たしてアニメ放映中に原作のほうが完結するのかどうか。完結しなかったら、やっぱりオリジナル展開で終わってしまうのかな。それはヤダな。どうせなら、足並みそろえてやって欲しい。ただの個人的な要望ですが。
話がだいぶそれましたね。だらだら書いていたら、妙に文章が長くなりました。書き続けようと思えばいくらでも書き続けられるんですが、無駄に長ったらしいのは好きではないんで、ここら辺で終わりにしたいと思います。それでは、今日の結論を端的にまとめようかと……
とりあえず萌えたい。
その一言に尽きますね。出だしから一歩も動いてないような気もしますが、それは気にしないことにします。それでは、また次回。
なんだかんだで同じことを言いつつ、なんやかんやで同じ結論にたどり着きつつ。
友井架月でした☆
本日というか昨日というか、我が学校は終業式でした。終業式が終わると、一般的な意味での冬休みです。
かといって今年は、そんなにのんびりもしてられないんですけどね。
周りは受験でてんやわんやだし、俺は二学期の単位が足りなくててんやわんやだし。
これから二学期の後片付けに奔走します。何もかもが終わってるよ。
どーも、友井架月です。
昨日短編を一つ書き終えたので、今日はちょっと小休止。
これからの構想を脳内で練りつつ、気分転換とかやったりしてます。
それでもまったく関係ない小説を書いたりもしていたんですが、それはまた別の話。
今日はそんなこんなで、雑談っぽくやっていきます。
話に脈略がなかったり、適当にだらだらと駄弁るだけかもしれませんが、気分転換にどうぞ付き合ってやってください。
とりあえず萌えたい。
……いきなりすぎた。要約すると、癒されたいという意味です。ふしだらな意味はこめてません。
多忙な日々を送ることで精神的に追い詰められたりしているので、ここは一つ癒されたいということです。
そこでいきなり『萌え』と直結しているところがアレな感じがしますが、それはただの偏見です。
たとえば、犬や猫を見て和やかな気分になったり、大自然を眺めて心が洗われたり、好きな歌を聴いて心地よくなったりと、それら『癒し』に分類されるものたちの一要素としての『萌え』です。
何も知らない人たちはよく『萌え』と『エロ』を混同させがちですが、両者はまったくの別物です。
後者は本能的な欲求ですが、前者は理性的な欲求です。そういうと、なんかカッコよくなりますが。
萌えはオタクだけの文化だと思われがちですが、意外と誰の心にでも根付いているものです。
たとえば、赤ちゃんの寝顔を見て癒されるのも、突き詰めてしまえば萌えと同じです。
あくまで友井が考えている萌え感覚ですが、あながち間違ってはいないと思います。
萌えるという行為は、誰にでも経験しうるものですし、気づいていないのは実感がわかないだけで、言葉とそれが意味するものを、正確に理解していないだけなのです。
海がない内陸国の先住民の人たちに、海魚と川魚の違いを説明しようとも理解されないのと同じです。
ああ、なんか今日はたとえ話がぽんぽんでるな。小説でもこんな感じにすらすら出れば良いのに。
理屈はだらだらと述べていますが、早い話、現実逃避したいだけなんですが。
友井が小説なんてものを書いている時点で、それは現実逃避以外の何者でもないんですが、そう断言してしまうと夢がなくなってしまう。それ以上は露骨になってしまうので、ここはあえて追求しません。
まあ、自分の小説を読んで萌えなくもないんですが。
きららの何気ない仕草なんてぐっときます。自分の娘のような存在なんで、可愛くないわけがないんですが。
それはそれ、あれはあれ。自分の小説を自画自賛するのもいいんですが、ここはやっぱり他作品に触れたいと思うのは必然です。意欲的にとりくむなら、他の人の作品で勉強するのは当然です。
話がずれましたが、要は感動したいんです。温もりを感じたいんです。そんなもんです。
今もいろんな小説を読んだりアニメを見たりゲームをしたりしていますが、さらにその先を求めたくなるのが欲望というもので、いっそのことグリードになりたいって思います。そういえば、鋼の錬金術師が四月からまたアニメ始まりますね。今度は原作どおりにやるようですが、果たしてアニメ放映中に原作のほうが完結するのかどうか。完結しなかったら、やっぱりオリジナル展開で終わってしまうのかな。それはヤダな。どうせなら、足並みそろえてやって欲しい。ただの個人的な要望ですが。
話がだいぶそれましたね。だらだら書いていたら、妙に文章が長くなりました。書き続けようと思えばいくらでも書き続けられるんですが、無駄に長ったらしいのは好きではないんで、ここら辺で終わりにしたいと思います。それでは、今日の結論を端的にまとめようかと……
とりあえず萌えたい。
その一言に尽きますね。出だしから一歩も動いてないような気もしますが、それは気にしないことにします。それでは、また次回。
なんだかんだで同じことを言いつつ、なんやかんやで同じ結論にたどり着きつつ。
友井架月でした☆