自分にとっての小説
有体日記――これ、誰が書いた作品なんですか? って自分自身に問いかけたい問いかけてみたい
恋楯を攻略しながらお送りします。
どーも、友井架月です。
自分の過去作品を読み返しているとよく思うんだが、これを自分が書いたという事実が信じられない。
や、ゴーストライターとかではなくて、正真正銘友井のオリジナルなわけですが。
よくこんなモノが書けるなあと、自分自身に驚いてみちゃったり。
そこにはノリノリで書いたり、苦しみながら書いたりしていた軌跡があるわけで。
その痕跡を文章を通じて感じ取ってしまうわけです。
そのときの状態は、某テニス漫画でたとえるならば無我の境地のようなもので。
終わった後に読み返してみないと分からないものです。
本当に調子がいいときは、どこから湧いてくるのかは知らないが言葉が次々と飛び出してきたり。
逆に調子の悪いときは言葉をつむぐことがひどく辛かったり。
進展がないまま何日も悩みに悩んでいる時期があれば。
何で悩んでいたんだろうと不思議に思うほどよどみなく文章が積み上げられてくることもある。
自分でも分からないが、辛くても苦しくても小説に熱中することで得られるものがあるのだと思う。
このときの自分は一体何を考えていたのだろう、とか。
どのような気持ちでこれを書いていたのだろう、とか。
昔の自分なんか覚えていないけれども、そのときの自分が書きたかったものが確かに存在するのだと。
ブログの作品を読んでいても思ったりする。
物語の登場人物を通して自分の感情を訴えてみたり。
ストーリーを描くことで自分のやりたいことを探したり。
小説の中で自分の夢を現実にしてみたり。
小説という小空間の中でやれることはいくらでもあるんだと実感する。
それがおそらく、友井が小説に情熱を傾ける理由になっているのだと思う。
今はまだひたすら書き続けているだけだけれども。
この書き続けている先に、友井が本当に見つけたいものがあるのだと思う。
まだ見る事ができない、新しい世界が待っている気がする。
今はまだ、そう思っていたい。
いつもの適当すぎるアットホーム感をぶち壊しつつ、たまにはマジメに語るのも良いよねと思いつつ。
友井架月でした☆
恋楯を攻略しながらお送りします。
どーも、友井架月です。
自分の過去作品を読み返しているとよく思うんだが、これを自分が書いたという事実が信じられない。
や、ゴーストライターとかではなくて、正真正銘友井のオリジナルなわけですが。
よくこんなモノが書けるなあと、自分自身に驚いてみちゃったり。
そこにはノリノリで書いたり、苦しみながら書いたりしていた軌跡があるわけで。
その痕跡を文章を通じて感じ取ってしまうわけです。
そのときの状態は、某テニス漫画でたとえるならば無我の境地のようなもので。
終わった後に読み返してみないと分からないものです。
本当に調子がいいときは、どこから湧いてくるのかは知らないが言葉が次々と飛び出してきたり。
逆に調子の悪いときは言葉をつむぐことがひどく辛かったり。
進展がないまま何日も悩みに悩んでいる時期があれば。
何で悩んでいたんだろうと不思議に思うほどよどみなく文章が積み上げられてくることもある。
自分でも分からないが、辛くても苦しくても小説に熱中することで得られるものがあるのだと思う。
このときの自分は一体何を考えていたのだろう、とか。
どのような気持ちでこれを書いていたのだろう、とか。
昔の自分なんか覚えていないけれども、そのときの自分が書きたかったものが確かに存在するのだと。
ブログの作品を読んでいても思ったりする。
物語の登場人物を通して自分の感情を訴えてみたり。
ストーリーを描くことで自分のやりたいことを探したり。
小説の中で自分の夢を現実にしてみたり。
小説という小空間の中でやれることはいくらでもあるんだと実感する。
それがおそらく、友井が小説に情熱を傾ける理由になっているのだと思う。
今はまだひたすら書き続けているだけだけれども。
この書き続けている先に、友井が本当に見つけたいものがあるのだと思う。
まだ見る事ができない、新しい世界が待っている気がする。
今はまだ、そう思っていたい。
いつもの適当すぎるアットホーム感をぶち壊しつつ、たまにはマジメに語るのも良いよねと思いつつ。
友井架月でした☆