アスリート友井
昔話日記――桃太郎と金太郎と浦島太郎と麻生太郎が鬼ヶ島で鬼退治競争
今月は日記しか更新していないような気がする。
地味に小説も書いてはいるんだけどね。
どーも、友井架月です。
昔そんな感じの小説を書こうかと思ったけど、カオス過ぎたので結局やめといた。
やめて良かったと心から思っている。
ま、今回の話とは関係ないけど。
名目は日記ですが、中学時代のことを書きます。
友井がまだいろんな意味で純粋だった頃の話です。
友井が通っていた中学は都市部から離れた、田んぼの真ん中に建っているような学校でした。
何であんな場所に建てたんだろうと今でも思う。夏場は日陰がなくて暑いばかりだってのに。
今でこそ引きこもり気味でインドア体質な文学青年である友井ですが、当時は陸上部に所属していました。
なぜ陸上部に入部したかはよく覚えていません。
当時はまだ小説に没頭していませんでしたし、そもそもその学校には文芸部がありませんでした。
さらに友井は致命的なまでに肩力がありませんから、球技系の部活には入れませんでした。
ただ漠然と運動部には入りたいと考えていたので、陸上部に入ったのは必然だったかもしれません。
陸上の経験なんて小学生のとき、運動会でリレーの選手に選ばれたくらいですが、陸上部というのは経験がなくても気軽に入れる部活だったので、それほど悩みもせず入部しました。
その陸上部は、顧問のN藤先生は面と向かっているだけで萎縮してしまうような怖い先生でしたが、部員のほうは少人数で和気藹々とした感じでした。N藤先生がいるときは割りとマジメに練習しているんですが、いないときはだらけきっているような、そんな部活でした。
友井は地区大会どまりの選手でしたが、他の部員は優秀で。
後輩の女子なんか全国大会に行くような選手で、少し前にテレビにも出てたよ。
短距離のタイムはかろうじて抜かれていなかったものの、先輩面できなかったのを今でも覚えています。
友井の百メートルのタイムはそこそこでしたが、部員が少ないので大会には全部出れました。
リレーも五回か六回。第一走からアンカーまで全部やりました。第三走者が一番楽だったな。
しかし、その内二回はバトンを落としてしまいました。ええ、友井の責任ですよ。
さらには、百メートルで転んだこともあります。見事な前転をしました。
……あれ? 大会でのいい思い出とかないな。散々なのばっかり。
まあ、そんな感じの友井でしたが、陸上の大会というのはとても印象的で忘れられません。
とくに、百メートルのスタートは18年間の人生の中で一番緊張した瞬間でした。
『位置について、よーい』からピストルの音が鳴るまでの一瞬は永遠とも感じる一瞬です。
周りの歓声が一瞬止まり、代わりに自分の心臓の音だけが耳元で大音響で鳴っています。
息をするのも忘れ、思考が停止し、ただゴールだけを見つめた永遠の一瞬。
高校に入ってきっぱり陸上とは別れた友井ですが、今でも陸上は好きです。
もうあの頃のように走れなくなっても、あの時感じたことの全ては永遠だと思っています。
ふう、疲れた。
今日はここで切り上げますが、陸上ネタはまだまだ沢山あるので、またそのうち書きたいと思います。
その時は、また。
懐かしい思い出にひしひしと浸りつつ、思い返せば散々な思い出ばかりだったことを回想しつつ。
友井架月でした☆
今月は日記しか更新していないような気がする。
地味に小説も書いてはいるんだけどね。
どーも、友井架月です。
昔そんな感じの小説を書こうかと思ったけど、カオス過ぎたので結局やめといた。
やめて良かったと心から思っている。
ま、今回の話とは関係ないけど。
名目は日記ですが、中学時代のことを書きます。
友井がまだいろんな意味で純粋だった頃の話です。
友井が通っていた中学は都市部から離れた、田んぼの真ん中に建っているような学校でした。
何であんな場所に建てたんだろうと今でも思う。夏場は日陰がなくて暑いばかりだってのに。
今でこそ引きこもり気味でインドア体質な文学青年である友井ですが、当時は陸上部に所属していました。
なぜ陸上部に入部したかはよく覚えていません。
当時はまだ小説に没頭していませんでしたし、そもそもその学校には文芸部がありませんでした。
さらに友井は致命的なまでに肩力がありませんから、球技系の部活には入れませんでした。
ただ漠然と運動部には入りたいと考えていたので、陸上部に入ったのは必然だったかもしれません。
陸上の経験なんて小学生のとき、運動会でリレーの選手に選ばれたくらいですが、陸上部というのは経験がなくても気軽に入れる部活だったので、それほど悩みもせず入部しました。
その陸上部は、顧問のN藤先生は面と向かっているだけで萎縮してしまうような怖い先生でしたが、部員のほうは少人数で和気藹々とした感じでした。N藤先生がいるときは割りとマジメに練習しているんですが、いないときはだらけきっているような、そんな部活でした。
友井は地区大会どまりの選手でしたが、他の部員は優秀で。
後輩の女子なんか全国大会に行くような選手で、少し前にテレビにも出てたよ。
短距離のタイムはかろうじて抜かれていなかったものの、先輩面できなかったのを今でも覚えています。
友井の百メートルのタイムはそこそこでしたが、部員が少ないので大会には全部出れました。
リレーも五回か六回。第一走からアンカーまで全部やりました。第三走者が一番楽だったな。
しかし、その内二回はバトンを落としてしまいました。ええ、友井の責任ですよ。
さらには、百メートルで転んだこともあります。見事な前転をしました。
……あれ? 大会でのいい思い出とかないな。散々なのばっかり。
まあ、そんな感じの友井でしたが、陸上の大会というのはとても印象的で忘れられません。
とくに、百メートルのスタートは18年間の人生の中で一番緊張した瞬間でした。
『位置について、よーい』からピストルの音が鳴るまでの一瞬は永遠とも感じる一瞬です。
周りの歓声が一瞬止まり、代わりに自分の心臓の音だけが耳元で大音響で鳴っています。
息をするのも忘れ、思考が停止し、ただゴールだけを見つめた永遠の一瞬。
高校に入ってきっぱり陸上とは別れた友井ですが、今でも陸上は好きです。
もうあの頃のように走れなくなっても、あの時感じたことの全ては永遠だと思っています。
ふう、疲れた。
今日はここで切り上げますが、陸上ネタはまだまだ沢山あるので、またそのうち書きたいと思います。
その時は、また。
懐かしい思い出にひしひしと浸りつつ、思い返せば散々な思い出ばかりだったことを回想しつつ。
友井架月でした☆